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意外と多い「死ぬのが怖い人」―「無になるのが恐ろしい」「生まれ変わってゴキブリにでもなったら」 | ニコニコニュース
不治の病になって余命何ヶ月という風に死が目前に迫っている場合と違い、いつか来る自分の死に対して強い恐怖を抱き、日常生活を送る上で支障を来すようになっていたら、やはり一種の神経症と言えるのではないでしょうか。
もっとも、程度の差はあっても誰でも幼い頃には「親もいつか死ぬ」「自分もいつか死ぬ」ということをはっきり自覚して恐怖にとらわれることがあるはずです。それでも生き続けるということは、それから目をそらす術を身につけたためなのだ、と言えなくもありません。
死ぬことの恐怖にとらわれすぎない、しかも自分がいつか死ぬということを自覚しながら生きる。これを可能にしてくれるのが、まっとうな死生観なのでしょう。あるいは上の記事にもあるように、何らかの宗教に帰依できればそれも救いになるかもしれません。ただ現代日本人にはあまりそれが答えになるようには思えませんが。
私の場合は、自分の命というものを相対化することで死の恐怖を免れることができています。一生というものを「志の実現」に向けた舞台のようなものととらえていて、しかもその志というものは自分一個の力で実現できるものではないので、私自身の人生はその歯車やパーツのようなものだと考えるのです。
こう言うと卑小な考えのように聞こえるかもしれませんが、志そのものが遠大であれば実のところ「自分の命なんて差しだしても構わない」「魂だって売ってやる」という心境になるものですよ。
ともあれ、こうしたことを突き詰めて考えたり人と語り合ったりするのは有意義だと考えます。よく「死のことなんか考えるより生きることに懸命になれ」と言う人がいますが(上記記事の筆者のその立場)、こうしたことこそ生きる上での大切な営みなのではないでしょうか。もちろん、考えてばかりで身近な人への思いやりや愛情を欠くようでは困りますが。