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死生観の不易と流行

ここ最近、量子論と死生観の関係について関心を持っています。 何冊かの本も読みました。 自分の中では完全に理解しきれているとは言えず、「勉強中」「研究中」なのですが、現時点でもこれだけは言えます。今後死生観を語る際、量子論を踏まえていないもの、量子論に適合しないものはナンセンスである、と。...

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まずは、「あるかも」と思うところから

ここ最近、「あの世」とか「前世」「生まれ変わり」「臨死体験」といったものをテーマにした本を集中的に読んでいます。 もともとこうしたものに対して、懐疑的な気持ちのあまりない自分でした。「そういうのも、あるんだろうな」と幼い頃から漠然と思いつつ生きてきたものです。...

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葬儀場反対運動が起きない日本へ

新しくつくられる話が持ち上がった時に、地域に反対運動が起こる施設というのがあります。 迷惑施設と呼ばれるもので、ゴミ処理場や最近では保育園・小学校など多くの児童を預かるところもそんな風になってしまっています。そして葬儀場・火葬場はその最たるものでしょう。...

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安楽死実現、その前に

日本では、安楽死の制度化についてはまだ議論も始まっていない段階です。 「タブー視」まではいかないでしょうが、一部の声高な反対者がいて議論を持ち出すと危険人物視され、場合によっては社会的生命を抹殺されかねない論題であるのは確かです。この辺、大麻や売春、賭博の合法化(あるいは非犯罪化)と似た状況にあると言っていいでしょう。...

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「気持ち悪い」という感覚

テクノロジーが進化して、現在の我々の便利な生活が成り立っています。 今後は、「いのち」に関わる分野にもさまざまな応用がなされていくでしょう。たとえば、人体のパーツを交換したり何らかの方法で培養したりして不老不死を実現する。あるいは、遺体を冷凍保存して将来蘇らせる。さらには、脳内の情報をすべて読み取って「頭の中」を永久に保存する、など。...

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戦争と死生観

昨日12月8日は対米英開戦から75年に当たる日でした。 メディアでは真珠湾攻撃のことしか話題になりませんが、英領マレー半島ではさらに早く戦端が開かれていたんですけどね。...

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五木寛之さんの死生観

読売新聞が五木寛之さんにインタビューした記事が公開されました。 [QOD 生と死を問う]死を語る(上)一人で逝く覚悟必要 五木寛之さん : yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞) 五木さんの老いや死についての発言には割と注目しているのですが、正直なところ、共感できる部分が少ないな、という印象です。今回の記事もそう。...

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女の死生観・男の死生観

読売新聞の連載「QOD 生と死を問う」第4部のシリーズが完結しました。 このシリーズは三人の識者に死生観を問うインタビューを行うというもので、五木寛之さんの記事が出た時に一度話題にしています。その後、青木新門さん、樋口恵子さんが登場しました。 五木寛之さんの死生観 | 死に支度すれば死神逃げていく(2017-01-25)...

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安楽死を論じる3つの視点

今月の月刊「文藝春秋」が「理想の逝き方を探る」という特集で安楽死の問題を正面から扱っています。 中でも著名人60名にアンケートを取った結果が紹介されていて、なかなか興味深いものがありました(アンケートの回答については別途このブログで記事にする予定です)。 ただ残念だったのは、回答の選択肢が A 安楽死に賛成 B 尊厳死に限り賛成 C 安楽死、尊厳死に賛成...

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身内の死と死生観

人の死生観はまちまちでしょうが、身内の死を経験することはかなり大きな要素となりそうです。 極端な例を挙げれば、高校卒業するくらいまでに両親とも亡くした人と、社会人になってもなお両親・祖父母がみな健在だった人では、死生観が違って当然、という気がします。...

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「死を想う」レッスン

日常生活に追われて日々を過ごしていると、「死について考えよ(メメント・モリ)」と言われてもなかなか難しいものがあります。 やはり意識的にそうした時間を持つなり、他のことから離れて思索する機会を持つ必要があるでしょうね。...

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「死ぬのが怖い」への対処法

こんな記事・ネタを見つけました。 意外と多い「死ぬのが怖い人」―「無になるのが恐ろしい」「生まれ変わってゴキブリにでもなったら」 | ニコニコニュース 不治の病になって余命何ヶ月という風に死が目前に迫っている場合と違い、いつか来る自分の死に対して強い恐怖を抱き、日常生活を送る上で支障を来すようになっていたら、やはり一種の神経症と言えるのではないでしょうか。...

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わかっちゃいるけど、やらない

日本人の生前準備に関して最大の問題は、大半の人がその必要性を認めつつ、実際に着手する人は1割かせいぜい2割弱しかいない、ということではないでしょうか。 わかっていてもやらない、というのではわかっていないのと変わりありません。というか、もっとたちが悪いとも言えます。やはり実践率が過半数にならない限り、日本に生前準備が定着したことにはなりませんね。...

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死を受容できぬまま死んでいくということ

死にゆく人の中には、結局「死にたくない」とか「死ぬのが怖い」と悲痛な思いを抱えながら死んでゆく人もいることでしょう。 いざ死んだあとに、もしあの世みたいなのがあって自分の死に際を振り返るとするなら、どんな思いにとらわれるでしょうか。自分の死に際を反省し「次があるならもっと上手く死にたい」と思うんですかね。それともなお生に執着し、「できたらまた生き返って人生を続けたい」と考えるんでしょうか。...

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鉄は熱いうちに打て!

自分のことを振り返ってみても、子供というのは大人が思う以上に多くのことを感じ、知っているものです。 それが前世などから持ち越された「記憶」なのか、一種の動物的勘のようなものなのかはわかりません。ただ社会生活を送り、常識や規範といったものを吸収していく中で、子供のそうした鋭さ・素直な認識力が失われていくのは確かでしょう。...

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量子論的生命観の世紀

21世紀の人類において大きく変わるだろう、と私が見込んでいるものの一つが生命観です。 今でも医学や生物学のやや古いパラダイムが常識になっていて、人体など生命は一種の機械のようなものだ、と捉えている人が圧倒的でしょう。けれど量子論を踏まえれば、その見方は皮相であり粗雑ということにならざるを得ません。もっと言えば幼稚とも言えましょうか。...

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「死の受容」をめぐって

ここのところ表題のことについて考えさせられるきっかけがあったので、現時点での私の考えをまとめ、文にしておこうと思います。 何年か経ったら、あるいは現実に死と直面したら考えが変わるかもしれません。でもそれは「その時」ということで。...

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この人生は一回きり。とはいえ・・・

2017年最後の更新となります(「Twitterログ」は除く)。 先日、日本の人口減少(いわゆる自然減)が40万人を上回りそうだ、という発表がありました。今年一年で134万人超が亡くなると推計され、多死社会へと向かいつつあります。これからも年を追うに従い、「老いや死とどう向き合うか」ということが社会的関心事となっていくことでしょう。...

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死生観なき生前準備は、砂上の楼閣

生前準備は大切だよね、と言われれば同意しない人はあまりいないでしょう。 けれど実際には、しっかりした死生観を持たないで考えたり準備しても、いざ自分が死に直面した時にあらゆる想定が崩壊するおそれがあります。言ってみれば砂上に楼閣を建てるようなものです。...

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惑いを許容するのも仏教?

「死生観」でTwitterを検索していて、興味深いツイートを見かけました。 あるときお坊さんに「死ぬ間際にジタバタしたっていいじゃないですか。それを認めるのも仏教なんですよ」と言われて感じ入った、というものです。 他人がジタバタしているのを「お前はダメなヤツだ」だ切り捨てるのではなく、赦してあげる。一人の人間として尊重してあげる、というのはわかります。尊い姿勢と言っていいでしょう。...

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